向寵(しょうちょう)

【姓名】 向寵(しょうちょう) 【あざな】 ?

【原籍】 襄陽郡(じょうようぐん)宜城県(ぎじょうけん)

【生没】 ?~240年(?歳)

【吉川】 第278話で初登場。
【演義】 第091回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・向朗伝(しょうろうでん)』に付された「向寵伝」あり。

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劉備(りゅうび)と諸葛亮(しょかつりょう)から能力を評価される

父母ともに不詳。向朗は叔父。向充(しょうじゅう)は弟。

向寵は劉備に仕えて牙門将(がもんしょう)となり、222年の(劉備東征時の)秭帰(しき)における敗戦の際には、彼の軍営だけが無傷だったという。

翌223年、劉禅(りゅうぜん)が帝位を継ぐと、向寵は都亭侯(とていこう)に封ぜられ、後に中部督(ちゅうぶとく)として近衛兵を指揮する。

227年、諸葛亮が劉禅に「出師表(すいしのひょう)」を奉呈して北伐に着手したが、このとき向寵は特に推挙され、中領軍(ちゅうりょうぐん)に昇進した。

240年、向寵は漢嘉郡(かんかぐん)の蛮族の討伐にあたり、その最中に戦死した。

管理人「かぶらがわ」より

諸葛亮が「出師表」の中で名を挙げ、高く評価している向寵ですが、彼の活躍の詳細はほとんどわかりません。

劉備は馬謖(ばしょく)を評価していなかったのに、向寵は評価していたということなので、向寵には言葉ばかりが先行するようなところがなかったのでしょう。

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