『三国志 Three Kingdoms』の考察 第19話「曹操・劉備の暗闘(そうそう・りゅうびのあんとう)」

徐州(じょしゅう)の攻略と呂布(りょふ)らの処刑を済ませた曹操(そうそう)は、皆に許都(きょと)への帰還を告げる。

そして、いったんは劉備(りゅうび)を徐州牧(じょしゅうぼく)に任じて留め置こうと考えたものの、彼が民心を集めている様子を見て危惧を抱き、翻意して許都へ同行させることにした。

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第19話の展開とポイント

(01)徐州

曹操が貂蝉(ちょうせん)に様々な金品を贈り、身なりを整えて酒席に侍るよう伝える。だが、貂蝉は応じなかった。

(02)徐州の郊外

貂蝉が曹操の許しを得て呂布を葬る。

ここで貂蝉が布で呂布の顔を拭くシーンがあった。前の第18話(03)で呂布の処刑が斬首ではなく射殺だったのは、このシーンを使いたかったからかも。

(03)徐州

酒宴の席で荀彧(じゅんいく)が許褚(きょちょ)に、曹操が貂蝉のいる白門楼(はくもんろう)を訪ねようとしていることを伝える。

この第19話の冒頭で荀彧が曹操に、「さすが徐州城。中原(ちゅうげん。黄河〈こうが〉中流域)一の観でございますな」と言っていたので、ここまでは下邳城(かひじょう)ではなく、徐州城に移っての話だと思っていた。

ところが、ここで白門楼の話が出てきた。この城楼は下邳城にあったので、(01)から(03)は徐州なのか、下邳なのかよくわからなくなった。

また、ここで荀彧が許褚に「張繡(ちょうしゅう)を覚えておいでか?」とも言っていたが……。このドラマでは曹操と張繡とのいきさつが省かれており、これだけでは何のことなのかわからない。

おそらく曹操が張済(ちょうせい)の未亡人の鄒氏(すうし)に執心した件だろう。吉川『三国志』(第63話)や『三国志演義』(第16回)では197年の出来事として描かれている。なお、正史『三国志』に鄒氏の名は見えない。

(04)白門楼

貂蝉が曹操の前で、七星剣(しちせいけん)を使って自害する。と同時に、この場に許褚も飛び込んでくる。

ここで貂蝉から尋ねられた曹操が、七星剣の由来を語っていた。

また、許褚が飛び込んできたタイミングと貂蝉の自害との兼ね合いがイマイチわかりにくかった。貂蝉が七星剣で自害しようとしていたところへ、飛び込んできた許褚が斬りつけたということなのだろうか?

(05)徐州

曹操が皆に、2日後に許都へ帰ることを告げる。

曹操が荀彧・郭嘉(かくか)・程昱(ていいく)の3人に、改めて劉備の扱いについて意見を聴く。

荀彧は、もはや殺す必要はないと言い、劉備を利用するよう勧める。郭嘉は、劉備を名ばかりの徐州牧に任じたうえで信頼できる者を徐州に残し、劉備を小沛(しょうはい)に駐屯させるよう勧める。

荀彧と程昱も賛成したため、いったん曹操も郭嘉の進言を容れる。

そこへ徐州の民を代表してロギソ(人名か?)らがやってきて、曹操に陳情書を差し出す。劉備をこの地に留め、改めて徐州牧に任じてほしいという要望だった。

曹操は彼ら民の代表を前に、朝廷に陳情書の件を上奏し、天子(てんし。献帝〈けんてい〉)から劉備を徐州牧に任じてもらうつもりだと伝える。

しかしロギソらが帰った後、曹操は劉備が徐州の民心をつかんでいることに激怒し、彼を名ばかりの徐州牧に任ずる方針を撤回する。

翌日、曹操は軍勢よりひと足先に、劉備を連れて許都へ帰る。

(06)許都

献帝が曹操を丞相(じょうしょう)に任じたうえ、領地9千頃(けい)と民3万戸を授ける。

このとき号令係が「大将軍(だいしょうぐん)曹操、上意を奉じて、謁見ー」と言っていた。曹操は袁術(えんじゅつ)討伐の際、大将軍ではなくゴコク大将軍(護国大将軍?)に任ぜられていた(先の第16話〈01〉のこと)はず。

しかも先の第13話(07)では、曹操が袁紹(えんしょう)を大将軍に任ずるよう上奏し、献帝の承認を受けていた。このあたりの扱いがテキトーすぎる。

曹操に続き、劉備も献帝に拝謁する。劉備は自身の家系について尋ねられ、「中山靖王(ちゅうざんせいおう)の末裔でございます」と答える。

これを聞いた献帝は帝室の系譜を持ってくるよう命じ、劉備が自分の叔父(皇叔〈こうしゅく〉)にあたることを知る。

献帝は劉備を左将軍(さしょうぐん)に任じたうえ、宜城亭侯(ぎじょうていこう)に封ずる。以後、劉備は劉皇叔と尊称されることになった。

ここで劉備の先祖として名が挙げられていた人物のうち、劉勝(りゅうしょう。漢〈かん〉の景帝〈けいてい〉の息子。中山靖王)と劉貞(りゅうてい。劉勝の息子。陸成侯〈りくせいこう〉)、そして劉備の祖父の劉雄(りゅうゆう)と父の劉弘(りゅうこう)以外の名は正史『三国志』に見えない。

このドラマでは、劉勝、劉貞、劉昂(りゅうこう)、劉禄(りゅうろく)、劉恋(りゅうれん)、劉英(りゅうえい)まで読み上げた後、「劉英のお子は劉不疑(りゅうふぎ)」とし、劉恵(りゅうけい)、劉雄、劉弘、劉備とつないでいた。だが、これは吉川『三国志』(第77話)や『三国志演義』(第20回)とは異なっている。

吉川『三国志』では劉英までを挙げた後、続きを「……」として省略し、劉雄、劉弘、劉備とつないでいた。

『三国志演義』では劉英の後、劉建(りゅうけん)、劉哀(りゅうあい)、劉憲(りゅうけん)、劉舒(りゅうじょ)、劉誼(りゅうぎ)、劉必(りゅうひつ)、劉達(りゅうたつ)ときて、劉不疑、劉恵と続け、劉雄、劉弘、劉備とつないでいた。

さらに、先の第13話(10)で劉備が徐州牧に任ぜられた際、併せて車騎将軍(しゃきしょうぐん)・ブギ侯(?)に封ぜられていた。

車騎将軍から左将軍になったのなら降格だし、ブギ侯は県侯なのだろうから、こちらも県侯から亭侯(宜城亭侯)になったのなら降格では?  いろいろな場面でテキトーな官爵を持ち出すと、後で話が合わなくなってくる。

(07)丞相府

程昱が曹操に帝位に即くよう勧める。また程昱は、策を講じて誰が天子に忠実で、誰が曹操に忠実なのかを見極めることも勧める。曹操は進言を容れ、2日後に許田(きょでん)で狩りを催すことを決めた。

(08)許宮(きょきゅう)

程昱が献帝に2日後の狩りの件を話し、参加の承諾を得る。

(09)許田

曹操が献帝の弓矢を借りて獲物(鹿か?)を仕留め、皆の万歳を受ける。これを見た関羽(かんう)は無礼な態度に憤り、剣を抜こうとしたものの、劉備が無言のまま制止する。

(10)丞相府

曹操が程昱に、許田での皆の様子を尋ねる。程昱の話を聴いた曹操は、朝廷に忠実な者が少なからずいることを知り、自身が帝位に即くという話を封印する。

董承(とうしょう)と荀彧が不満そうだったのはいいとして、関羽が剣に手をかけたのも程昱に見られたことになっていた。

(11)劉備邸

劉備のもとに勅使が来て、許田の狩りで体調を崩した献帝を見舞うよう伝える。

管理人「かぶらがわ」より

呂布が処刑された後の第19話にも貂蝉を登場させるのは新味でした。七星剣も効果的に使われていましたし……。

あとは劉備が献帝に初めて拝謁するシーン。ここは見せ場でしょうが、(劉勝の末裔だという)劉備の出自には怪しいところが多いと感じます。

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