「自分は周りの同級生より優秀だ」と感じたら『山月記(さんげつき)』を読むのがいいと思う

『山月記(さんげつき)』は中島敦(なかじま・あつし。1909〈明治42〉~1942〈昭和17〉年)先生の作品で、1942年2月の『文學界(ぶんがくかい)』に「文字禍(もじか)」と併せて「古譚(こたん)」の題名で掲載されました。

私が初めてこの作品を読んだのは30年以上前ですが、最近ふとしたきっかけから読み返し大きな衝撃を受けました。

そして自身のこれまでを振り返ってみたとき、この作品で語られていたことの多くが初見で感じたより大切だったと気づかされたため、『三国志』ネタではありませんけど、記事としてまとめることにしました。

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『山月記』(中島敦)

(1)李徴(りちょう)が発狂に至るまでの経緯

隴西(ろうせい)の李徴は博学才穎(さいえい。非常に才知に優れている様子)、天宝(てんぽう。唐代〈とうだい〉の年号。742~755年)の末年、若くして名を虎榜(こぼう。試験に合格し、進士になった者を公表する掲示板)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい。自我が強く協調性がない様子)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔しとしなかった。

いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、虢略(かくりゃく。地名)に帰臥(きが)し、人と交わりを絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。

下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。

しかし、文名は容易に揚がらず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。

李徴は漸(ようや)く焦燥に駆られてきた。

この頃からその容貌も峭刻(しょうこく。厳しい様子)となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい。鋭い様子)として、かつて進士に登第(とうだい)した頃の豊頰(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、どこに求めようもない。

数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。

一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。

かつての同輩はすでに遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。

彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい。非常識)の性はいよいよ抑え難くなった。

一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿ったとき、ついに発狂した。

ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈(か)けだした。

彼は二度と戻ってこなかった。

附近の山野を捜索しても、何の手掛かりもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

(2)袁傪(えんさん)との再会

翌年、監察御史(かんさつぎょし)、陳郡(ちんぐん)の袁傪という者、勅命を奉じて嶺南(れいなん)に使いし、途(みち)に商於(しょうお)の地に宿った。

次の朝まだ暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎(ひとくいどら)が出るゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。

今はまだ朝が早いから、今少し待たれたがよろしいでしょうと。

袁傪は、しかし、供廻(ともまわ)りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥(しりぞ)けて、出発した。

残月の光をたよりに林中の草地を通っていったとき、果たして一匹の猛虎が叢(くさむら)の中から躍り出た。

虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、たちまち身を飜(ひるがえ)して、元の叢に隠れた。

叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰り返し呟(つぶや)くのが聞こえた。

その声に袁傪は聞き憶(おぼ)えがあった。

驚懼(きょうく)の中にも、彼は咄嗟(とっさ)に思いあたって、叫んだ。

「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。

温和な袁傪の性格が、峻峭(しゅんしょう。厳しい)な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

叢の中からは、しばらく返辞がなかった。

しのび泣きかと思われる微(かす)かな声が時々洩(も)れるばかりである。

ややあって、低い声が答えた。

「いかにも自分は隴西の李徴である」と。

袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊(きゅうかつ)を叙した。

そして、なぜ叢から出てこないのかと問うた。

李徴の声が答えて言う。

自分は今や異類の身となっている。

どうしておめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。

かつまた、自分が姿を現せば、必ずきみに畏怖嫌厭(けんえん)の情を起こさせるに決まっているからだ。

しかし、今、図らずも故人(とも)に遇(あ)うことを得て、愧赧(きたん。恥)の念をも忘れるほどに懐かしい。

どうか、ほんのしばらくでいいから、我が醜悪な今の外形を厭(いと)わず、かつてきみの友李徴であったこの自分と話を交わしてくれないだろうか。

後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受け容(い)れて、少しも怪しもうとしなかった。

彼は部下に命じて行列の進行を停(と)め、自分は叢の傍らに立って、見えざる声と対談した。

都の噂(うわさ)、旧友の消息、袁傪が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。

青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それらが語られた後、袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊(たず)ねた。

草中の声は次のように語った。

(3)李徴の告白

今から一年ほど前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊まった夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。

声に応じて外へ出てみると、声は闇の中から頻(しき)りに自分を招く。

覚えず、自分は声を追うて走りだした。

無我夢中で駈けていくうちに、いつしか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫(つか)んで走っていた。

何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えていった。

気が付くと、手先や肱(ひじ)のあたりに毛を生じているらしい。

少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映してみると、すでに虎となっていた。

自分は初め眼を信じなかった。

次に、これは夢に違いないと考えた。

夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。

どうしても夢でないと悟らねばならなかったとき、自分は茫然(ぼうぜん)とした。

そうして懼(おそ)れた。

全く、どんな事でも起こり得るのだと思うて、深く懼れた。

しかし、なぜこんな事になったのだろう。

分からぬ。

全く何事も我々には判(わか)らぬ。

理由も分からずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。

自分はすぐに死を想(おも)うた。

しかし、その時、眼の前を一匹の兎(うさぎ)が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間はたちまち姿を消した。

再び自分の中の人間が眼を覚ましたとき、自分の口は兎の血に塗(まみ)れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。

これが虎としての最初の経験であった。

それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それは到底語るに忍びない。

ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が還(かえ)ってくる。

そういうときには、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句をも誦(しょう)ずることもできる。

その人間の心で、虎としての己(おのれ)の残虐な行いのあとを見、己(おのれ)の運命をふりかえるときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。

しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなっていく。

今までは、どうして虎などになってしまったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いてみたら、己(おれ)はどうして以前、人間だったのかと考えていた。

これは恐ろしいことだ。

今少し経てば、己(おれ)の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。

ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。

そうすれば、しまいに己(おれ)は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途できみと出会っても故人(とも)と認めることなく、きみを裂き喰うて何の悔いも感じないだろう。

いったい、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。

初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?

いや、そんな事はどうでもいい。

己(おれ)の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうが、己(おれ)はしあわせになれるだろう。

だのに、己(おれ)の中の人間は、その事を、この上なく恐ろしく感じているのだ。

ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀(かな)しく、切なく思っているだろう!

己(おれ)が人間だった記憶のなくなることを。

この気持ちは誰にも分からない。

誰にも分からない。

己(おれ)と同じ身の上になった者でなければ。

ところで、そうだ。

己(おれ)がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。

(4)李徴の頼み

袁傪はじめ一行は、息をのんで、叢中(そうちゅう)の声の語る不思議に聞き入っていた。

声は続けて言う。

他でもない。

自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。

しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立ち至った。

かつて作るところの詩数百篇(ぺん)、もとより、まだ世に行われておらぬ。

遺稿の所在ももはや判らなくなっていよう。

ところで、そのうち、今もなお記誦(きしょう。覚えていて暗唱できる)せるものが数十ある。

これを我がために伝録して戴(いただ)きたいのだ。

何も、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り(破産し)心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。

袁傪は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。

李徴の声は叢の中から朗々と響いた。

長短およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。

なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。

しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。

(5)李徴が今も見る夢と即興詩

旧詩を吐き終わった李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るが如(ごと)くに言った。

羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己(おれ)の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。

岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。

嗤(わら)ってくれ。

詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。

(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。)

そうだ。

お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べてみようか。

この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。

袁傪はまた下吏に命じてこれを書きとらせた。

その詩に言う。

偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷

この記事のテキストとして用いた『李陵(りりょう)・山月記(さんげつき)』(中島敦著 新潮文庫)の注解(三好行雄〈みよし・ゆきお〉氏)によると、この詩の大意は以下の通り。「ふとしたきっかけから狂気に冒され、獣の身となってしまった。災難が重なり、不幸な運命から逃れることができない。いまや人食虎(ひとくいどら)となった私の鋭い爪や牙に、いったい誰が敵対できるだろう。思えばあの頃は、私も君も秀才の誉れが名実ともに高かった。しかし、いまでは私は獣の身となって、草むらに寝起きしているが、君はすでに高官になって軺(しょう。官吏の乗用車)に乗って、まことに意気盛んである。(旧友と再会した)今夜、渓(たに)や山を照らす名月にむかって(この苦しみを訴えようと)声をあげて詩を吟じようとしても、人ならぬ獣の身としては、口から洩(も)れるのはただぶざまな吠え声だけである」

(6)李徴がたどり着いた気づき

時に、残月、光冷ややかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風はすでに暁の近きを告げていた。

人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。

李徴の声は再び続ける。

なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。

人間であったとき、己(おれ)は努めて人との交わりを避けた。

人々は己(おれ)を倨傲(きょごう。驕〈おご〉り高ぶる様子)だ、尊大だといった。

実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。

もちろん、かつての郷党の秀才だった自分に、自尊心がなかったとは云(い)わない。

しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。

己(おれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。

かといって、また、己(おれ)は俗物の間に伍(ご)することも潔しとしなかった。

共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。

己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れるがゆえに、敢えて刻苦して磨こうともせず、また、己(おのれ)の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々(ろくろく)として瓦(つまらない物の例え)に伍することもできなかった。

己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい。恥と怒り)とによってますます己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。

己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。

虎だったのだ。

これが己(おのれ)を損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己(おのれ)の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。

今思えば、全く、己(おれ)は、己(おれ)の有(も)っていた僅かばかりの才能を空費してしまったわけだ。

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯(ひきょう)な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己(おれ)のすべてだったのだ。

己(おれ)よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。

虎と成り果てた今、己(おれ)は漸くそれに気が付いた。

それを思うと、己(おれ)は今も胸を灼(や)かれるような悔いを感じる。

己(おれ)にはもはや人間としての生活はできない。

たとえ、今、己(おれ)が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。

まして、己(おれ)の頭は日ごとに虎に近づいていく。

どうすればいいのだ。

己(おれ)の空費された過去は?

己(おれ)は堪(たま)らなくなる。

そういうとき、己(おれ)は、向こうの山の頂の巌(いわ)に上り、空谷(人けのない谷)に向かって吼(ほ)える。

この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。

己(おれ)は昨夕も、あそこで月に向かって咆(ほ)えた。

誰かにこの苦しみが分かってもらえないかと。

しかし、獣どもは己(おれ)の声を聞いて、唯(ただ)、懼れ、ひれ伏すばかり。

山も樹(き)も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。

天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己(おれ)の気持ちを分かってくれる者はない。

ちょうど、人間だった頃、己(おれ)の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。

己(おれ)の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

(7)袁傪との別れ

漸く四辺(あたり)の暗さが薄らいできた。

木の間を伝って、どこからか、暁角(ぎょうかく。夜明けに吹かれる角笛の音)が哀しげに響き始めた。

もはや、別れを告げねばならぬ。

酔わねばならぬときが、(虎に還らねばならぬときが)近づいたから、と、李徴の声が言った。

だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。

それは我が妻子のことだ。

彼らはまだ虢略にいる。

もとより、己(おれ)の運命については知るはずがない。

きみが南から帰ったら、己(おれ)はすでに死んだと彼らに告げてもらえないだろうか。

決して今日のことだけは明かさないでほしい。

厚かましいお願いだが、彼らの弧弱を憐(あわ)れんで、今後とも道塗(どうと。路上)に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖(おんこう。特別な恩恵)、これに過ぎたるはない。

言い終わって、叢中から慟哭(どうこく)の声が聞こえた。

袁(袁傪)もまた涙を泛(うか)べ、欣(よろこ)んで李徴の意に副(そ)いたい旨を答えた。

李徴の声はしかしたちまちまた先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。

本当は、まず、この事のほうを先にお願いすべきだったのだ、己(おれ)が人間だったなら。

飢え凍えようとする妻子のことよりも、己(おのれ)の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕(おと)すのだ。

そうして、附(つ)け加えて言うことに、袁傪が嶺南からの帰途には決してこの途を通らないでほしい、その時には自分が酔っていて故人(とも)を認めずに襲いかかるかも知れないから。

また、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振りかえって見てもらいたい。

自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。

勇に誇ろうとしてではない。

我が醜悪な姿を示して、以(もっ)て、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちをきみに起こさせないためであると。

袁傪は叢に向かって、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。

叢の中からは、また、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。

袁傪も幾度か叢を振り返りながら、涙のうちに出発した。

一行が丘の上についたとき、彼らは、言われた通りに振り返って、先ほどの林間の草地を眺めた。

たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。

虎は、すでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、また、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。 (『山月記』完)

管理人「かぶらがわ」より

原文のいくつかの段落をひとまとめにし、全部で7つのパートに分けたうえ、それぞれに簡単な見出しを付けてみました。

原文は旧字や旧仮名で書かれたものですが、以下の「テキストと参考資料」で挙げた新潮文庫版を底本に、読みやすくする意図から一部の送り仮名に手を加えました。そして、原文に傍点が付けられている部分は太字(強調表示)としました。

できるだけ原文のテイストを損なわないよう気をつけたつもりですが、やはり原文にも目を通されたほうがいいと思います。

いやぁ、虎ですよ、虎。人は虎にもなり得るんですね……。自分を客観的に見ることの大切さを思い知らされる名作で、友達のありがたみも伝わってきます。

テキストと参考資料

『李陵(りりょう)・山月記(さんげつき)』中島敦著 新潮文庫
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詳細な注解や解説が付いているのでおすすめの一冊。文庫本のため価格も手ごろ。原文を読むだけでいいという方には「青空文庫(ウェブサイト)」が便利かと思います。

これ以外にも、2016(平成28)年8月7日付の「読売新聞・日曜版」で著者の中島先生が採り上げられていたので、こちらのほうも参考資料として興味深く拝読しました。

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