孫コウ(そんこう。雷+大)

【姓名】 孫コウ(そんこう。雷+大) 【あざな】 ケン(襾+升)

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~265年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫休(そんきゅう)の息子

父は孫休だが、母は不詳。孫ワン(そんわん。雨+單)は兄で、孫モウ(そんもう。壴+巨)と孫ホウ(そんほう。亠+先+攴)は弟。

孫コウは、264年10月に孫晧(そんこう)から汝南王(じょなんおう)に封ぜられたが、翌265年には呉郡の小城に幽閉され、ほどなく殺害された。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

孫コウら兄弟の命名については、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫休伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く張勃(ちょうぼつ)の『呉録(ごろく)』に孫休の詔(みことのり)が載せられていました。

それによると孫休は、「師友は別にしても、父兄や自分自身が立派すぎる名やあざなを付けるという風潮を、つねづね笑ってきた」とあり、「そうしたことに配慮しつつ、自ら4人の息子たちの名とあざなを定めた」のだということでした。

「孫コウの場合は、名のコウ(雷+大)の音を兕觥(じこう。さかずき)の『觥』と同じだ」とし、「あざなのケン(襾+升)の音は『太玄経(たいげんきょう)』に礥首(けんしゅ)とある『礥』と同じだ」と説明しています。

また「これらの文字はみな世に用いられているものではなく、ことさら古い文字から取ったものを組み合わせて作ったものだ」とも言い、「二字名にしないだけではなく、それぞれが独自の文字であるため、それを避けて使わないことも容易であろう」として、こうした自分の考えを広く天下に伝えるよう命じています。

しかし裴松之は、孫休が類例のない文字を作り出し典拠のない音を定めたことを、「前代の賢者たちの明らかな教えに反する」と批判したうえ、「後世にその愚かさを笑われることになったのも、もっともなことだ」と述べていました。

とはいえ、この記事からは当時の命名の様子が垣間見え興味深いものがありました。孫休は古典の研究に没頭した人物でもあるので、名やあざなにも強いこだわりがあったのでしょう。

現代では名を呼ぶことを避けたりはしませんけど――。子どもによい名を付けようというところだけを見れば、当時よりその傾向が強くなっているのかもしれませんね。

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人物データ 呉の孫氏
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今日も三国志日和 – 史実と創作からみる三国志の世界 –

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