曹参(そうさん)

【姓名】 曹参(そうさん) 【あざな】 ?

【原籍】 ?

【生没】 ?~前190年(?歳)

【吉川】 第010話で初登場。
【演義】 第043回で初登場。
【正史】 登場人物。

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漢(かん)の高祖(こうそ)に仕えた宰相、魏(ぎ)の曹操(そうそう)の遠祖にあたるという

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王沈(おうしん)の『魏書』には、以下のようにある。

「周(しゅう)の武王(ぶおう)は殷(いん)を滅ぼした後、先代の天子(てんし)の子孫を保護し、曹俠(そうきょう)を邾国(ちゅこく)に封じた」

「邾国は春秋(しゅんじゅう)時代に諸国の同盟に参加したが、戦国(せんごく)時代に入ると楚国(そこく)によって滅ぼされた」

「曹氏の子孫は散りぢりになって流浪したが、この中に沛(はい)に住みついた者がいた。漢の高祖が挙兵した後、曹参は功績により平陽侯(へいようこう)に封ぜられた」

管理人「かぶらがわ」より

曹参は、曹操の父の曹嵩(そうすう)が夏侯氏(かこうし)から(異説もある)養子に入った先の曹氏の遠祖にあたるそうで、蕭何(しょうか)・韓信(かんしん)・陳平(ちんぺい)とともに、漢建国の功臣に挙げられる人物です。

『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・費詩伝〈ひしでん〉)には、漢中王(かんちゅうおう)となった劉備(りゅうび)が、関羽(かんう)を前将軍(ぜんしょうぐん)に任じた際、費詩を使者として遣わすくだりが出てきます。

同時期に老年の黄忠(こうちゅう)が後将軍(こうしょうぐん)に任ぜられたことに関羽が腹を立て、印綬(いんじゅ。官印と組み紐〈ひも〉)を受け取ろうとせず、費詩がその態度を諫めるというもので、『三国志演義』(第73回)にも出てきます。

費詩は「蕭何と曹参は若いころから漢の高祖と親しい関係でしたが、後から陳平や韓信が亡命して加わり、韓信が席次の最上位を占めることになりました。しかし、そのことで蕭何や曹参が恨みを抱いたという話は聞いたことがありません」と述べたうえ――。

「王(劉備)と君侯(関羽)はひとつの身体のようなものであり、官号の高下や爵禄の多少を気にされるのは適当でないと存じます」と諭します。

そして、この話を聴いて悟るところがあった関羽は、すぐに印綬を拝受したのだと。

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