【姓名】 曹潜(そうせん) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~233年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
曹鑠(そうしゃく)の息子、相愍王(しょうびんおう)
父は曹鑠だが、母は不詳。息子?の曹偃(そうえん)は跡継ぎ。
233年、曹潜は早くに薨去(こうきょ)した曹鑠の跡を継ぎ、相王(しょうおう)に封ぜられたものの、同年に薨去した。
翌234年に息子?の曹偃が跡を継いだ。このときの封邑(ほうゆう)は2,500戸だった。
ところが、236年に曹偃が薨去。彼には息子がなく、封国は没収された。
その後、255年になり、楽陵王(らくりょうおう)の曹茂(そうぼう)の息子である陽都郷侯(ようときょうこう)の曹竦(そうしょう)が、曹鑠の跡継ぎとして立てられた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・相殤王鑠伝〈しょうしょうおうしゃくでん〉)を見た限りでは、曹潜の跡を継いだ曹偃が、曹鑠の息子(曹潜の弟)なのか曹潜の息子なのか、イマイチわかりにくかったです。
例えば『三国志全人名事典』(『中国の思想』刊行委員会編著 徳間書店)を見ると、曹偃は曹潜の子だとありました。
ですが同書の「曹氏系譜」を見ると、曹偃は曹潜の下(息子)ではなく隣(弟?)に置かれていました。
曹鑠と曹潜は親子ですが、曹潜と曹偃も親子と見ていいのかどうか?
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