曹琮(そうそう)

【姓名】 曹琮(そうそう) 【あざな】 ?

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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曹拠(そうきょ)の息子、平陽公(へいようこう)

父は曹拠だが、母は不詳。曹範(そうはん)と曹闡(そうせん)は弟。

217年、曹琮は208年に死去した曹沖(そうちゅう)の跡継ぎとして立てられ、鄧侯(とうこう)に封ぜられた。

222年に冠軍公(かんぐんこう)に移封され、翌223年には己氏公(きしこう)に移封された。

237年、中尚方(ちゅうしょうほう。宮中で使う器物を製作する役所)に人を遣り、禁止されている器物を作らせた罪により、300戸を削られたうえ都郷侯(ときょうこう)に降格された。

239年に再び己氏公に封ぜられ、246年には平陽公に移封された。

景初(けいしょ)年間(237~239年)・正元(せいげん)年間(254~256年)・景元(けいげん)年間(260~264年)にたびたび加増されて1,900戸となった。

管理人「かぶらがわ」より

曹拠の息子として名が出てくる曹琮・曹範・曹闡の兄弟の順番がイマイチはっきりしません。

曹範が曹闡の兄だというのは『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・郿戴公子整伝〈びたいこうしせいでん〉)にありますが、曹琮をふたりの兄と見てもいいのかどうか?

曹琮が曹沖の跡継ぎに立てられた時期(217年)を考えると、曹琮が最年長で、彼に曹範と曹闡が続くものと思われますが……。

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