李朝(りちょう)

【姓名】 李朝(りちょう) 【あざな】 偉南(いなん)

【原籍】 広漢郡(こうかんぐん)シ県(しけん。妻+阝)

【生没】 ?~222年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

劉備(りゅうび)を「漢中王(かんちゅうおう)」に推戴(すいたい)する上表文を起草

父母ともに不詳。李邈(りばく)は兄で李邵(りしょう)は弟。ほかにも弟がいたことがうかがえる。

李朝は郡の「功曹(こうそう)」となり、孝廉(こうれん)に推挙され「臨卭県令(りんきょうけんのれい)」に転じた後、成都(せいと)へ戻って「別駕従事(べつがじゅうじ)」を務めた。

221年、李朝は劉備の孫権(そんけん)討伐に従軍したものの、翌222年、永安(えいあん)で死去したという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。

その裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『益部耆旧雑記(えきぶききゅうざっき)』には李朝と弟の李邵、これに夭折(ようせつ)した弟の3人が才能と名望を評価され、「李氏の三龍」と呼ばれていたとあります。

同じく裴松之注に引く常璩(じょうきょ)の『華陽国志(かようこくし)』には、蜀の群臣が劉備を「漢中王」に推戴した際の上表文は、李朝が書いたものだともありました。

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