呉班(ごはん) ※あざなは元雄(げんゆう)

【姓名】 呉班(ごはん) 【あざな】 元雄(げんゆう)

【原籍】 陳留郡(ちんりゅうぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第204話で初登場。
【演義】 第065回で初登場。
【正史】 登場人物。

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強さと男気で知られた将軍

父は呉匡(ごきょう)だが、母は不詳。呉壱(ごいつ。呉懿〈ごい〉)は族兄(いとこ。一族の同世代の年長者)。

221年、呉班は劉備(りゅうび)の孫権(そんけん)討伐に随行し、馮習(ふうしゅう)とともに孫権配下の李異(りい)らの軍勢を撃破する。

後に督後部(とくこうぶ)・後将軍(こうしょうぐん)となり、安楽亭侯(あんらくていこう)に封ぜられた。

231年、諸葛亮(しょかつりょう)が祁山(きざん)に進出した際、呉班は魏延(ぎえん)や高翔(こうしょう)とともに、魏(ぎ)の司馬懿(しばい)の軍勢を大破し、多数の鹵獲品(ろかくひん)を得た。

後に驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)・仮節(かせつ)まで昇進し、緜竹侯(めんちくこう)に爵位が進む。だが、その後の呉班については記事がない。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・諸葛亮伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』および『三国志』(蜀書・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記などによるものです。

蜀の一翼を担う将軍として、主要な戦いで活躍したことがうかがえますが、それ以上の詳しい事績はわかりませんでした。

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