王甫(おうほ) ※あざなは国山(こくざん)

【姓名】 王甫(おうほ) 【あざな】 国山(こくざん)

【原籍】 広漢郡(こうかんぐん)郪県(しけん)

【生没】 ?~222年(?歳)

【吉川】 第226話で初登場。
【演義】 第073回で初登場。
【正史】 登場人物。

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史実では劉備(りゅうび)の東征時に戦死

父母ともに不詳。王士(おうし)は従兄。王祐(おうゆう)という息子がいた。

王甫は人物評価や議論を好み、劉璋(りゅうしょう)の時代(194~214年)に益州(えきしゅう)の書佐(しょさ)となる。

214年、劉備が成都(せいと)で劉璋を降すと、王甫は緜竹県令(めんちくけんれい)に任ぜられ、後に荊州(けいしゅう)の議曹従事(ぎそうじゅうじ)に転じた。

222年、王甫は劉備の孫権(そんけん)討伐に随行し、秭帰(しき)において戦死した。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。

『三国志演義』や吉川『三国志』では関羽(かんう)の腹心として登場した王甫ですが、麦城(ばくじょう)での最期も含めて創作だったのですね。

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