曹峻(そうしゅん) ※あざなは子安(しあん)、魏(ぎ)の陳留恭王(ちんりゅうのきょうおう)

【姓名】 曹峻(そうしゅん) 【あざな】 子安(しあん)

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~259年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・陳留恭王峻伝(ちんりゅうきょうおうしゅんでん)』あり。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の息子で曹丕(そうひ)の異母弟、陳留恭王

父は曹操、母は秦氏(しんし)。同母兄には曹玹(そうけん)がいる。息子の曹澳(そういく)は跡継ぎ。

曹峻は216年に郿侯(びこう)に封ぜられ、翌217年に襄邑侯(じょうゆうこう)に移封された。221年には襄邑公に爵位が進み、翌222年に陳留王(ちんりゅうおう)に移封された。

224年に襄邑県王(じょうゆうけんおう)に移封されたが、翌225年には再び陳留王に移封された。

259年に薨去(こうきょ)し、息子の曹澳が跡を継いだ。景初(けいしょ)年間(237~239年)・正元(せいげん)年間(254~256年)・景元(けいげん)年間(260~264年)にたびたび加増され、4,700戸となった。

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管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

上の加増についてのくだり、景初および正元年間のものは曹峻の代のことでしょうが、景元年間のものは曹澳の代のことになりますね。

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