曹矩(そうく)※魏(ぎ)の范陽閔王(はんようびんおう)

【姓名】 曹矩(そうく) 【あざな】 ?

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・范陽閔王矩伝(はんようびんおうくでん)』あり。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の息子で曹丕(そうひ)の異母弟、范陽閔王

父は曹操、母は尹氏(いんし)。

曹矩は早くに亡くなり、息子はいなかった。

217年、樊安公(はんあんこう)の曹均(そうきん)の息子である曹敏(そうびん)が曹矩の跡継ぎとして立てられ、臨晋侯(りんしんこう)に封ぜられた。

222年、曹矩に封国と諡号(しごう)が追贈され、范陽閔公(はんようびんこう)とされた。

224年、曹敏が范陽王に移封され、226年には句陽王(こうようおう)に移封された。

232年、亡き曹矩の爵位がさかのぼって進められ、范陽閔王とされた。

曹敏は琅邪王(ろうやおう)に移封され、景初(けいしょ)年間(237~239年)・正元(せいげん)年間(254~256年)・景元(けいげん)年間(260~264年)にたびたび加増されて、3,400戸となった。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

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