夏侯栄(かこうえい)

【姓名】 夏侯栄(かこうえい) 【あざな】 幼権(ようけん)

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 207~219年(13歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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夏侯淵(かこうえん)の五男

父は夏侯淵だが、母は不詳。夏侯衡(かこうこう)・夏侯霸(かこうは)・夏侯称(かこうしょう)・夏侯威(かこうい)はみな兄で、夏侯恵(かこうけい)と夏侯和(かこうか)は弟。

夏侯栄は幼いころから聡明(そうめい)で、7歳にしてよく文章を書くことができた。また1日に1千言の書物を読み、目を通すなり覚えたともいう。

曹丕(そうひ)が評判を聞き彼を招いた際、その場には100余人の賓客がおり、みな本籍や姓名などを記した爵里刺(しゃくりし)を差し出す。

夏侯栄は爵里刺をチラッと見ただけだったが、後で話をしたときに(顔と名を)ひとりも間違えることがなかったので、曹丕はその才能を非常に高く評価した。

219年、漢中(かんちゅう)で夏侯淵が劉備軍(りゅうびぐん)に敗れたとき、夏侯栄は13歳ながら従軍しており、側近は彼の身を抱えて逃げようとする。

だが、夏侯栄は聞き入れずに言った。

「ご主君や父上が危険な目に遭われているのに、どうして私だけ死を逃れられようか!」

こうして剣を手に奮戦し、ついに討ち死にしてしまったという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・夏侯淵伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』によるもの。

この『世語』が、さらに従孫の夏侯湛(かこうたん)の書いた序文を引いており、そこに夏侯称と夏侯栄のことが見えています。

もし逃げ延びられる状況だったのなら、13歳の彼にはそうしたほうがよかったと思えますけど――。どうやらそれも難しかったらしく、若年での討ち死にが惜しまれる逸材でした。

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