橋瑁(きょうぼう) ※あざなは元偉(げんい)、反董卓(とうたく)連合軍に参加した諸侯

【姓名】 橋瑁(きょうぼう) 【あざな】 元偉(げんい)

【原籍】 梁国(りょうこく)睢陽県(すいようけん)

【生没】 ?~190年(?歳)

【吉川】 第020話で初登場。
【演義】 第005回で初登場。
【正史】 登場人物。

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反董卓(とうたく)連合軍に参加した諸侯

父母ともに不詳。

橋瑁は橋玄(きょうげん)の一族で、子の世代にあたるという。

189年4月、霊帝(れいてい)が崩御(ほうぎょ)し、少帝(しょうてい)が即位する。

大将軍(だいしょうぐん)の何進(かしん)は、袁紹(えんしょう)らと相談して宦官(かんがん)の誅滅を計画したものの、何太后(かたいこう。少帝の生母で何進の異母妹)は許可しなかった。

何進は、前将軍(ぜんしょうぐん)の董卓、武猛校尉(ぶもうこうい)の丁原(ていげん)、東郡太守(とうぐんたいしゅ)の橋瑁、河内太守(かだいたいしゅ)の王匡(おうきょう)を召し寄せて、何太后に圧力をかけようとした。

この動きに対し、中常侍(ちゅうじょうじ)や黄門侍郎(こうもんじろう)らは、何進を訪ねて謝罪。袁紹は再三にわたり、この機に彼らを始末するよう勧めたが、何進は承知しなかった。

同年8月、何進が中常侍の段珪(だんけい)らにおびき出され、宮中で殺害される。

これを受け、袁紹は虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)の袁術(えんじゅつ)らとともに宮中へ乗り込み、宦官を皆殺しにした。

やがて董卓が実権を握ると、橋瑁は、都の三公から回付される公文書を偽造し、董卓の悪行を書き並べて義軍の決起を促す。

翌190年1月、こうして山東(さんとう。崤山〈こうざん〉・函谷関〈かんこくかん〉以東の地域。華山〈かざん〉以東の地域ともいう)の諸侯が反董卓を旗印に挙兵すると、もちろん彼も呼応した。

このとき袁紹は河内に、橋瑁は、張邈(ちょうばく)・劉岱(りゅうたい)・袁遺(えんい)とともに酸棗(さんそう)に、袁術は南陽(なんよう)に、孔伷(こうちゅう)は潁川(えいせん)に、韓馥は鄴(ぎょう)に、それぞれ駐屯していた。

しかし、ほどなく諸侯同士が猜疑(さいぎ)し合うようになり、橋瑁は仲の悪かった劉岱に殺害されてしまった。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

橋瑁には、反董卓連合軍として特段の活躍は見られません。自然解散したように、この連合軍自体が掛け声倒れのものでしたからね。

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