王濬(おうしゅん) ※あざなは士治(しち)

【姓名】 王濬(おうしゅん) 【あざな】 士治(しち)

【原籍】 弘農郡(こうのうぐん)湖県(こけん)

【生没】 206~285年(80歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第120回で初登場。
【正史】 登場人物。

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呉(ご)の都へ一番乗りを果たす

父母ともに不詳。

279年、晋(しん)の司馬炎(しばえん)が呉への総攻撃を命ずると、王濬も龍驤将軍(りょうじょうしょうぐん)として水軍をひきい、長江(ちょうこう)を下る。

翌280年、王濬は呉都の建業(けんぎょう)へ一番乗りし、孫晧(そんこう)の降伏を受けて会見した。

呉の平定時の功により輔国大将軍(ほこくだいしょうぐん)に昇進し、襄陽侯(じょうようこう)に封ぜられた。

285年8月、王濬は鎮軍大将軍(ちんぐんだいしょうぐん)から撫軍大将軍(ぶぐんだいしょうぐん)に昇進し、同年12月に80歳で死去した。

管理人「かぶらがわ」より

(『三国志』では)登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

唐代(とうだい)に編纂(へんさん)された『晋書(しんじょ)』には「王濬伝」がありますが、そちらを吟味できていないので、この記事も中途半端なものになってしまいました。いずれ加筆できればと思います。

『晋書』(武帝紀〈ぶていぎ〉)からは王濬の官職の変遷が少しうかがえただけでした。事績が晋代にかかっている人物は扱い方が難しいですね。

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