輔匡(ほきょう)

【姓名】 輔匡(ほきょう) 【あざな】 元弼(げんひつ)

【原籍】 襄陽郡(じょうようぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

豪気で知られた将軍(しょうぐん)

父母ともに不詳。

211年、輔匡は劉備(りゅうび)に付き従い蜀(しょく)へ入る。

214年、劉備が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、輔匡は「巴郡太守(はぐんのたいしゅ)」に任ぜられた。

のち劉禅(りゅうぜん)の建興(けんこう)年間(223~237年)に「鎮南将軍(ちんなんしょうぐん)」を経て「右将軍(ゆうしょうぐん)」となり「中郷侯(ちゅうきょうこう)」に封ぜられる。その後の輔匡については記事がない。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるものです。

また『三国志』(呉書〈ごしょ〉・陸遜伝〈りくそんでん〉)によると、輔匡は大督(だいとく。総指揮官)の馮習(ふうしゅう)の下、(222年の猇亭〈おうてい〉の戦いで)「別督(べっとく。一軍の指揮官)」を務めたとのことでした。

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

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