【姓名】 張尚(ちょうしょう) 【あざな】 ?
【原籍】 広陵郡(こうりょうぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『呉書(ごしょ)・張紘伝(ちょうこうでん)』に付された「張尚伝」あり。
孫晧(そんこう)に嫌みを言ったため誅殺される
父は張玄(ちょうげん)だが、母は不詳。張紘は祖父。
張尚は孫晧の時代(264~280年)に侍郎(じろう)となり、気の利いた物言いで厚遇される。やがて抜てきされ、侍中(じちゅう)や中書令(ちゅうしょれい)を務めた。
あるとき孫晧から琴を弾くよう命ぜられたが、張尚は琴が弾けなかった。そこで詔(みことのり)を受けて琴を習う。
その後、くつろいだ席で琴の精妙さに話題が及ぶと、張尚が言った。
「かつて(春秋〈しゅんじゅう〉時代に)晋(しん)の平公(へいこう)が師曠(しこう)に『清角(せいかく)』の曲を弾かせようとしたとき、彼は言いました。『わが君の徳は十分に高いと申せませんので、この曲をお聴きになる資格はございません』と」
孫晧は、暗に自分のことを例えていると感じ、不愉快に思う。
後に他事にかこつけて張尚を投獄し、以前の琴の一件を詰問すると、建安(けんあん)へ送って船造りの労役に就かせた。
だが、しばらくして役人が遣わされ、張尚は誅殺(時期は不明)されてしまった。
管理人「かぶらがわ」より
本伝の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く環済(かんせい)の『呉紀(ごき)』には、孫晧は自分より優れている者を嫌ったとあります。ところが張尚は談論するたびに孫晧を出し抜いたため、恨みを買いました。
あるとき孫晧が張尚に尋ねます。
「私の飲みっぷりは誰と比べられるだろうか?」
張尚が応えます。
「陛下は(孔子〈こうし〉のように)100の杯を飲み干すことができましょう」
これを聞いた孫晧が激怒して言います。
「張尚は孔丘(こうきゅう。孔子)が王者になれなかったことを承知していながら、私を彼に例えたのだ!」
張尚は捕らえられたものの、尚書(しょうしょ)の岑昬(しんこん)が公卿(こうけい)以下100余人とともに、叩頭(こうとう)して許しを請うたため、どうにか死罪を免れることができたのだとか。
結局は別件で誅殺された張尚ですが、こういったやり取りを孫晧と繰り返していたのでは、命がいくつあっても足りませんね……。
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