馮習(ふうしゅう) ※あざなは休元(きゅうげん)

【姓名】 馮習(ふうしゅう) 【あざな】 休元(きゅうげん)

【原籍】 南郡(なんぐん)

【生没】 ?~222年(?歳)

【吉川】 第248話で初登場。
【演義】 第081回で初登場。
【正史】 登場人物。

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猇亭(おうてい)で散った蜀軍(しょくぐん)の総司令官

父母ともに不詳。

211年、馮習は劉備(りゅうび)に付き従って蜀へ入った。

221年、劉備の孫権(そんけん)討伐に従軍し、巫(ふ)や秭帰(しき)で孫権配下の李異(りい)らの軍勢を撃破する。

翌222年、馮習は領軍(りょうぐん)として諸軍をひきいたが、蜀軍は猇亭で孫権配下の陸遜(りくそん)に大敗。このとき馮習も戦死した。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)および『三国志』(蜀書・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。

『季漢輔臣賛』では、馮習が敵を軽んじたため国家に損害を与え、自身の死を招いたとありましたが、この東征の敗因は劉備自身の戦略のほうですよね。

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