姚伷(ようちゅう)

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【姓名】 姚伷(ようちゅう) 【あざな】 子緒(ししょ)

【原籍】 巴西郡(はせいぐん)閬中県(ろうちゅうけん)

【生没】 ?~242年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

幅広い人材を推挙し諸葛亮(しょかつりょう)から評価される

父母ともに不詳。

214年、姚伷は劉備(りゅうび)が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、「功曹書佐(こうそうしょさ)」に任ぜられた。

223年、「広漢太守(こうかんのたいしゅ)」に転ずる。

227年、丞相(じょうしょう)の諸葛亮が漢中(かんちゅう)に進駐すると、姚伷は召されて「掾(えん)」を務めた。そして、文武の分野を問わず優れた人材を推挙したため諸葛亮に評価され、やがて「参軍(さんぐん)」に昇進する。

234年、諸葛亮が陣没した後、姚伷はさらに昇進を重ねて「尚書僕射(しょうしょぼくや)」となり、242年に死去した。当時の人々は、姚伷の誠実さや純粋さに心を寄せていたという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるものです。

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もほとんどなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

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