傅僉(ふせん)

【姓名】 傅僉(ふせん) 【あざな】 ?

【原籍】 義陽郡(ぎようぐん)

【生没】 ?~263年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第112回で初登場。
【正史】 登場人物。

父に続いて蜀(しょく)に殉ずる

父は傅肜(ふゆう)だが、母は不詳。

222年、劉備(りゅうび)の東征に従軍した傅肜が戦死すると、傅僉は「左中郎(さちゅうろう)」に任ぜられ、のち「関中都督(かんちゅうのととく)」まで昇る。

263年、魏(ぎ)の大軍が蜀へ侵攻したとき、傅僉は蔣舒(しょうしょ)とともに陽安関(ようあんかん)を守っていた。

戦う気のない蔣舒は傅僉を言いくるめ単独で関外へ出撃し、陰平(いんぺい)に至ると魏将の胡烈(これつ)に降伏してしまう。そして、傅僉のほうはほどなく胡烈の急襲を受け、自ら格闘した末に戦死した。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は、『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・姜維伝〈きょういでん〉)とその裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』および『三国志』(蜀書・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。

登場箇所が少ないためコメントしにくいですが、蜀に忠義を尽くした傅僉のことはカバーしておきたいと思います。

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