夏侯和(かこうか)

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【姓名】 夏侯和(かこうか) 【あざな】 義権(ぎけん)

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第301話で初登場。
【演義】 第102回で初登場。
【正史】 登場人物。

夏侯淵(かこうえん)の七男

父は夏侯淵だが、母は不詳。夏侯衡(かこうこう)・夏侯霸(かこうは)・夏侯称(かこうしょう)・夏侯威(かこうい)・夏侯栄(かこうえい)・夏侯恵(かこうけい)はみな兄。

夏侯和は弁舌さわやかで、才気に満ちた議論をした。曹叡(そうえい)の太和(たいわ)年間(227~233年)に「関内侯(かんだいこう)」に封ぜられ、曹芳(そうほう)の時代(240~254年)には「侍郎(じろう。中書侍郎〈ちゅうしょじろう〉?)」を務めた。

264年、司徒(しと)の鍾会(しょうかい)が蜀(しょく)で反乱を起こした際、夏侯和は「相国左司馬(しょうこくさしば)」となり、たまたま使者として成都(せいと)にあった。この時の反乱鎮圧で功を立て「郷侯(きょうこう)」に爵位が進む。のち「河南尹(かなんのいん)」や「太常(たいじょう)」を歴任したという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・陳留王紀〈ちんりゅうおうぎ〉)および『三国志』(魏書・夏侯淵伝)とその裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』、そして『三国志』(魏書・鍾会伝)の裴松之注に引く、鍾会が母(張氏〈ちょうし〉)のために書いた伝記によるもの。

夏侯和については詳しい事績がわからなかったものの、鍾会の反乱鎮圧時の活躍に、その弁舌が役立ったであろうことは想像できます。

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