張氏(ちょうし)H ※蜀(しょく。季漢〈きかん〉、蜀漢)の劉禅(りゅうぜん)の妻、敬哀皇后(けいあいこうごう)

【姓名】 張氏(ちょうし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 涿郡(たくぐん)

【生没】 ?~237年(?歳)

【吉川】 第259話で初登場。
【演義】 第085回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・敬哀皇后伝(けいあいこうごうでん)』あり。

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蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)のもと正室、敬哀皇后

父は張飛(ちょうひ)、母はおそらく夏侯霸(かこうは)の従妹(夏侯氏か?)。張苞(ちょうほう)と張紹(ちょうしょう)は兄弟。

ほかに妹の張氏もおり、姉である彼女が崩じた後、続いて妹が、新たに劉禅の皇后として立てられた。

221年、皇太子の劉禅の妃(きさき)となって宮中に上がる。

223年、劉備(りゅうび)が崩じ、帝位を継いだ劉禅の皇后に立てられる。

その後、237年に崩御(ほうぎょ)し、南陵(なんりょう)に葬られた。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・夏侯淵伝〈かこうえんでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』によると、「建安(けんあん)5(200)年、そのころ夏侯霸の従妹で13、4歳になる少女が本籍地の郡に住んでいたが、薪(たきぎ)を採りに出かけて張飛に捕まった。張飛は良家の娘だと知ると、そのまま自分の妻にした。後に彼女は娘を生み、その娘が劉禅の皇后になった」のだという。

「『か』から始まる登場・関連人物一覧(1)」の夏侯氏Aの補足で触れましたが、夏侯霸の従妹と言っても、母方の従妹だった場合は夏侯氏ではないですよね?

また張飛の娘と言っても、ともに劉禅の皇后となった彼女とその妹が、同母姉妹と書かれていないようなので、異母姉妹の可能性がないとも言えません。

「後に彼女(張氏の母)は娘を生み、その娘はふたりとも劉禅の皇后になった」などと書かれているのであれば、同母姉妹だと判断できるのですが……。

それでも訳書の記事を読んでいくと、このふたりは同母姉妹なのだろうなという印象は受けました。

200年と言えば、曹操(そうそう)が官渡(かんと)の戦いで袁紹(えんしょう)を破った年です。袁紹のもとにいた劉備が命を受け、許(きょ)の近郊を荒らしていた劉辟(りゅうへき)を助勢しに行ったりもしています。

曹操のもとを離れた関羽(かんう)も劉備と再会していますし、肝心の張飛の動きが詳しくわからないものの、『魏略』の話はありそうですよね。

200年に13、4歳だった少女が、後に娘を生み、その娘が221年に皇太子妃に立てられたというのも、年齢的には話が合うと思います。

本籍地の郡に住んでいたという部分がイマイチわかりにくかったので、張氏の母については、はっきりしないところが残りました。

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