環氏(かんし) ※曹操(そうそう)の妻、環夫人(かんふじん)

【姓名】 環氏(かんし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 彭城国(ほうじょうこく)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の側室、環夫人(かんふじん)

父母ともに不詳。曹操との間に、曹沖(そうちゅう)・曹拠(そうきょ)・曹宇(そうう)を儲けた。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・鄧哀王沖伝〈とうあいおうちゅうでん〉)によると、曹操は20人以上いた息子たちの中でも、特に曹沖の聡明(そうめい)さを評価しており、彼を跡継ぎにと考えていた時期もあったようです。

208年に曹沖は13歳で病死してしまいますが、このとき曹操は自ら命乞いの祈りを捧げ、亡くなった後もひどく悲しんだということでした。

そこで曹丕(そうひ)が父の気持ちをなだめようとしたところ、曹操は「曹沖の死は私にとっては不幸だが、お前たちにとっては幸いだ」とまで言ったのだとも。

また曹拠と曹宇にしても、封地などで優遇されていたことがうかがえます。曹叡(そうえい)は若いころから曹宇と親しかったそうですし、魏の最後の皇帝となった曹奐(そうかん)も曹宇の息子ですしね……。

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