【姓名】 曹熊(そうゆう) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第212話で初登場。
【演義】 第068回で初登場。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・蕭懐王熊伝(しょうかいおうゆうでん)』あり。
魏(ぎ)の曹操(そうそう)の息子で曹丕(そうひ)の同母弟、蕭懐王
父は曹操、母は卞氏(べんし。武宣卞皇后〈ぶせんべんこうごう〉)。
同母兄には曹丕のほか、曹彰(そうしょう)と曹植(そうしょく)がいる。息子の曹炳(そうへい)は跡継ぎ。
曹熊は早くに亡くなり、221年に蕭懐公(しょうかいこう)の諡号(しごう)を追贈された。その後、229年に蕭懐王(しょうかいおう)と諡号を改められた。
234年になり、息子の曹炳が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
曹操が卞氏との間に儲けた4人の息子たちの中では、不可解なほど影が薄いです。
兄の曹植が192年生まれなので、曹熊が193年以降に生まれたことは確か。そして息子がいるので、早くに亡くなったとは言っても、それなりの年齢だったことも確か。
『三国志演義』(第79回)では、魏王を継いだ兄の曹丕から父の葬儀に参列しなかったことを問罪され、自ら縊死(いし)するという描かれ方になっています。なので、没年は220年を想定しているみたい。
しかし、いかにも曹植のオマケ的な扱いで、随所に光る創作を見せている羅貫中(らかんちゅう)のデキとしてはどうなのでしょう。おもしろくしようとしたけれど、さすがに元ネタがなさすぎて難しかったのか?
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