宣威王(せんいおう) ※孫晧(そんこう)の息子

【姓名】 宣威王(せんいおう) ※名とあざなは不詳

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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呉(ご)の孫晧(そんこう)の息子

父は孫晧だが、母は不詳。孫瑾(そんきん)は兄。名がわからないものの、ほかにも10人以上の兄弟がいたことがうかがえる。

278年7月に宣威王に封ぜられた。

その後、280年に呉が晋(しん)によって滅ぼされると、孫晧は孫瑾らとともに洛陽(らくよう)へ移住したが、彼も移住した孫氏一族に含まれていたのかイマイチはっきりしない。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。姓名の部分に宣威王と入れてしまいましたが、もちろん姓は孫のはずです。

孫晧の息子たちには名のわからない人物が多いのですが、これらをみな孫氏として収録すると女性の孫氏も多いことからまぎらわしい……。ということで、例外的に王号で収録することにしました。

そもそも孫晧の息子たちで、王に封ぜられた人物が何人いたのかがわからない。記事の捉え方によっては30人以上いたようにも見えますし――。

また、この宣威王については、宣王と威王というふうにふたりと解釈する考え方もあるようで、そのあたりもよくわかりませんでした。

とはいえ、宣威という地名については、張繡(ちょうしゅう)が宣威侯に封ぜられた例がある。宣威王でいいのだろう。

上で「彼も移住した孫氏一族に含まれていたのかイマイチはっきりしない」と書きましたが、洛陽へ移住した孫晧は司馬炎(しばえん)から帰命侯(きめいこう)に封ぜられ、孫瑾は中郎(ちゅうろう)に任ぜられたということです。

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人物データ 呉の孫氏
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