孫慮(そんりょ。孫憲〈そんけん〉)B ※孫綝(そんりん)の従兄

【姓名】 孫慮(そんりょ) 【あざな】 ?

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~256年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

孫綝(そんりん)の従兄

父母ともに不詳。一名を憲(けん。孫憲)ともいう。孫峻(そんしゅん)は従兄に、孫綝は従弟に、それぞれあたる。

256年10月、孫憲(孫慮)は孫綝の命を受け、丁奉(ていほう)や施寛(しかん)らとともに水軍をひきい、孫綝と対立した呂拠(りょきょ)を江都(こうと)で迎え撃つ。

ほどなく呂拠は新州(しんしゅう。建業〈けんぎょう〉近くにあった長江〈ちょうこう〉の中洲〈なかす〉)で捕らえられた(自殺したともいう)。

翌11月、孫綝は大将軍(だいしょうぐん)に任ぜられ仮節(かせつ)を授かり、永寧侯(えいねいこう)に封ぜられた。

孫慮(孫憲)は、孫峻が253年10月に諸葛恪(しょかつかく)を誅殺した際の計画に加わっていたため孫峻から厚遇され、右将軍(ゆうしょうぐん)・無難督(ぶなんとく)まで昇進したうえ節(しるしばた)と蓋(きぬがさ)を授かり、中央の9つの役所を総括する任に充てられていた。

しかし、孫綝は孫峻のときほど厚遇せず、腹を立てた孫慮は将軍の王惇(おうとん)と孫綝の暗殺を計った。この計画が発覚すると孫綝は王惇を殺害。孫慮も自殺に追い込まれた。

管理人「かぶらがわ」より

孫峻と孫綝は父同士が兄弟で、ふたりとも孫静(そんせい)の曾孫にあたります。孫峻のほうが孫綝より10歳以上も年長でした。

ただ、孫綝の父の孫綽(そんしゃく)が孫峻の父の孫恭(そんきょう)の兄となります。孫綽と孫恭の間には孫超(そんちょう)という兄弟もいますが、この孫超が孫慮(孫憲)の父というわけではないようです。やはり父母ともに不詳ですね。

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました