【姓名】 公孫恭(こうそんきょう) 【あざな】 ?
【原籍】 遼東郡(りょうとうぐん)襄平県(じょうへいけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 第033回で初登場。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・公孫度伝(こうそんたくでん)』に付された「公孫恭伝」あり。
公孫度の息子、兄の死後に遼東一帯の支配を引き継ぐ
父は公孫度だが、母は不詳。公孫康(こうそんこう)は兄。
204年、公孫度が死去すると、公孫康が跡を継ぐ一方、公孫恭は永寧郷侯(えいねいきょうこう)に封ぜられた。
公孫康が死去すると、息子の公孫晃(こうそんこう)や公孫淵(こうそんえん)らが幼かったため、公孫恭が代わって遼東太守(りょうとうたいしゅ)となった。
221年3月、公孫恭は、魏(ぎ)の曹丕(そうひ)から車騎将軍(しゃきしょうぐん)・仮節(かせつ)に任ぜられ、平郭侯(へいかくこう)に封ぜられた。
228年、公孫恭は、甥の公孫淵に脅迫されて位を奪われた。
管理人「かぶらがわ」より
公孫恭は、公孫康と公孫淵の間に入る形で遼東太守となりましたが、本伝に目立った事績はありませんでした。
また、かつて公孫恭は陰萎(いんい)を病んで性的不能者となり、資質も劣っていて、国を治めていく能力を持っていなかったということです。公孫淵に位を奪われた後、彼がどうなったのかもはっきりしません。
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