【姓名】 孫香(そんこう) 【あざな】 文陽(ぶんよう)
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫孺(そんじゅ)の息子
父は孫孺だが、母は不詳。孫策(そんさく)の族兄(いとこ。一族の同世代の年長者)にあたるという。
孫香は孫堅(そんけん)に付き従って手柄を立て、郎中(ろうちゅう)に任ぜられた。
その後、袁術(えんじゅつ)のために働き、征南将軍(せいなんしょうぐん)を加官されたが、寿春(じゅしゅん)で亡くなったという。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
上で挙げた記事は、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫賁伝〈そんほんでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く韋昭(いしょう。韋曜〈いよう〉)の『呉書』によるものです。
同じく「孫賁伝」の裴松之注に引く虞溥(ぐふ)の『江表伝(こうひょうでん)』によると、孫香が袁術の下で汝南太守(じょなんたいしゅ)を務めていたとき、孫策から手紙が届き、江東(こうとう)討伐に乗り出したいとの考えを伝えられました。
孫策から同様の手紙を受け取ったのは、呉景(ごけい)・孫賁・孫香の3人でしたが、袁術の命を受けて広陵(こうりょう)を治めていた呉景は、すぐに孫策のもとへ戻ります。
また、孫賁は袁術から将軍に任ぜられ、軍勢を預かって寿春にいたそうですが、彼も何とか孫策のところへ戻れました。
しかし、孫香だけは寿春の西の汝南にいて遠かったため、ついに孫策のもとへ帰ることができなかったということです。
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