劉玄(りゅうげん)A ※劉備(りゅうび)の曾孫

【姓名】 劉玄(りゅうげん) 【あざな】 ?

【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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劉永(りゅうえい)の孫、安楽公(あんらくこう)

父母ともに不詳。劉永の孫とだけある。

『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・劉璿伝〈りゅうせんでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く孫盛(そんせい)の『蜀世譜(しょくせいふ)』によると、「263年に蜀が滅亡した後、洛陽(らくよう)に移住した劉備(りゅうび)の子や孫たちは、その後の永嘉(えいか)の大乱(西晋〈せいしん〉時代の永嘉年間〈307~312年〉に起こった騒乱)でほぼ絶えてしまった。しかし、劉永の孫にあたる劉玄だけは蜀へ逃亡。当時、蜀の地を支配していた李雄(りゆう)が勝手に劉玄を安楽公に封じ、劉禅(りゅうぜん)の跡継ぎとした」という。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

上で挙げた『蜀世譜』には「(東晋〈とうしん〉時代の)347年の晋軍による李勢(りせい。李雄の後、父の弟である李寿〈りじゅ〉が位を奪い、その跡を李勢が継いだ)討伐の際、(撰者〈せんじゃ〉の)孫盛も遠征に従軍し、成都(せいと)で劉玄に出会った」ともありました。

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