劉林(りゅうりん)

【姓名】 劉林(りゅうりん) 【あざな】 ?

【原籍】 長沙郡(ちょうさぐん)?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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劉封(りゅうほう)の息子

父は劉封だが、母は不詳。

劉林の父の劉封は220年、関羽(かんう)を救援しなかった件や、同僚の孟達(もうたつ)を追い込んで魏(ぎ)に奔らせた件を問責され、劉備(りゅうび)から死を賜った。

しかし、劉封の息子の劉林は誅殺されず、牙門将(がもんしょう)に任ぜられ、蜀(しょく)滅亡後の264年に河東(かとう)へ移ったという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・劉封伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)によるもの。劉禅(りゅうぜん)や劉理(りゅうり)らは蜀の滅亡後に洛陽(らくよう)へ移ったそうなので、河東へ移った劉林とは扱いが異なっていたようです。

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