劉輯(りゅうしゅう)

【姓名】 劉輯(りゅうしゅう) 【あざな】 ?

【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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劉理(りゅうり)の息子

父は劉理だが、母は不詳。劉胤(りゅういん)は兄。

劉輯は、武邑侯(ぶゆうこう)だった261年、去る257年に薨去(こうきょ)した甥の劉承(りゅうしょう)の跡継ぎとして立てられ、安平王(あんぺいおう)に封ぜられた。

その後、263年に伯父の劉禅(りゅうぜん)が魏(ぎ)の曹奐(そうかん)に降伏すると、翌264年には劉禅に付き従って洛陽(らくよう)へ移り、奉車都尉(ほうしゃとい)に任ぜられたうえ、郷侯(きょうこう)に封ぜられた。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

この劉輯が、甥の劉承を継ぐ形で安平王に封ぜられるまでの経緯は、まず244年に安平王の劉理(劉輯の父)が薨去。劉理の息子の劉胤(劉輯の兄)が跡を継ぎ、256年に薨去。続いて劉胤の息子の劉承(劉輯の甥)が跡を継いだものの、翌257年に薨去。

その後、261年に劉禅が詔(みことのり)を下し、先帝(劉備〈りゅうび〉)の任命による(劉理の)安平王家の3代が早死にし、跡継ぎが絶えてしまったことを悼み、武邑侯だった劉輯が跡継ぎとして立てられたとのことでした。

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