【姓名】 陳脩(ちんしゅう) 【あざな】 ?
【原籍】 廬江郡(ろこうぐん)松滋県(しょうじけん)
【生没】 197?~230年(34歳?)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『呉書(ごしょ)・陳武伝(ちんぶでん)』に付された「陳脩伝」あり。
父の趣があったという陳武の息子
父は陳武だが、母は不詳。陳表(ちんぴょう)は異母弟。陳延(ちんえん)と陳永(ちんえい)という息子がいた。
陳脩には陳武の風があったといい、19歳の時に孫権(そんけん)に目通りして別部司馬(べつぶしば)となり、500の兵を授かる。
★イマイチはっきりしないものの、陳武が戦死した215年中のことと思われる。
このころ新兵に多数の逃亡者が出ていたが、陳脩はよく新兵の心をつかんだので、彼の部隊から逃亡者は出なかった。そのことが孫権に評価され、校尉(こうい)に昇進した。
建安(けんあん)年間(196~220年)の末、功臣の生前の業績が再評価された折、陳脩は父の功により都亭侯(とていこう)に封ぜられ、解煩督(かいはんとく。特別部隊の指揮官)に任ぜられた。
後に陳脩は230年に死去した。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もほとんどなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。
孫権から別部司馬に任ぜられたのが215年だったとすれば、230年に死去したときは34歳ということになります。
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