陳武(ちんぶ) ※あざなは子烈(しれつ)

【姓名】 陳武(ちんぶ) 【あざな】 子烈(しれつ)

【原籍】 廬江郡(ろこうぐん)松滋県(しょうじけん)

【生没】 177~215年(39歳)

【吉川】 第057話で初登場。
【演義】 第015回で初登場。
【正史】 登場人物。『呉書(ごしょ)・陳武伝』あり。

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人情に厚く、孫権(そんけん)から親愛された将軍

父母ともに不詳。息子の陳脩(ちんしゅう)は跡継ぎで、陳表(ちんぴょう)も同じく息子。

194年、孫策(そんさく)は寿春(じゅしゅん)の袁術(えんじゅつ)のもとに身を寄せていたが、このころ陳武は孫策に目通りする。

陳武は18歳にして身長が7尺(せき)7寸あり、やがて孫策に付き従って長江(ちょうこう)を渡ると、各地の討伐で功を立てて別部司馬(べつぶしば)に任ぜられた。

199年、孫策が劉勲(りゅうくん)を撃破した際、捕虜となった廬江の出身者の中から精鋭を選り抜き、その指揮を陳武に委ねる。こうして編制された精鋭部隊は向かうところ敵なしの強さだった。

翌200年、孫策が急死して孫権が跡を継ぐと、陳武は督五校(とくごこう。本拠地の守備にあたる部隊の監督)に転ずる。その後もたびたび功を立て、偏将軍(へんしょうぐん)まで昇った。

215年、陳武は孫権の合肥(ごうひ)遠征に参加し、命がけの奮闘の末に戦死。孫権は彼の死を深く悲しみ、葬儀にも臨席したという。

管理人「かぶらがわ」より

本伝によると、陳武は他人を思いやる気持ちが篤く、施しを好み、郷里や遠方から避難してきた多くの人々を受け入れていたそうです。また孫権にも親愛されており、孫権自ら何度も彼の屋敷を訪れるほどだったのだとか。

袁術のもとに身を寄せていた孫策に仕えるべく出向いた、若き陳武。袁術に、ではなく、孫策に、というところがミソで、孫策の人間的な魅力の大きさがうかがえます。

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