何定(かてい)

【姓名】 何定(かてい) 【あざな】 ?

【原籍】 汝南郡(じょなんぐん)

【生没】 ?~272年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫晧(そんこう)の寵愛を得た末に誅殺される

父母ともに不詳。

もともと何定は孫権(そんけん)の給使(きゅうじ。使い走り)を務めていたが、後に宮中を出て小役人に転じた。

何定は巧みに上司に取り入り、自分が先帝(孫権)の下で働いていたことを上表し、宮中へ戻って孫晧のそばで仕えたいと願い出る。

そこで孫晧は何定を楼下都尉(ろうかとい)に任じ、酒や穀物の調達を任せた。

そのうち何定は勝手な振る舞いが目立つようになったが、孫晧は彼を信任して多くの事柄を委ね、ついには列侯(れっこう)に封ずる。

陸凱(りくかい)・陸抗(りくこう)・賀邵(がしょう)といった重臣たちは、何定を重用しないよう繰り返し諫めたものの、なかなか孫晧に聴き入れてもらえなかった。

だが272年、何定はこれまでの悪事が露見したため誅殺される。

孫晧は、何定の所業が張布(ちょうふ)のそれに似ているとし、誅殺後に何布(かふ)と改名させたという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫晧伝)とその裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く虞溥(ぐふ)の『江表伝(こうひょうでん)』などによるものです。

孫晧にこびへつらうだけで列侯の地位まで昇った何定でしたが、握った権力と実力との釣り合いが取れておらず、お決まりの最期を迎えることになりました。

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