王表(おうひょう)

【姓名】 王表(おうひょう) 【あざな】 ?

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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正体がバレる前に逃げ去った、自称「神」

父母ともに不詳。

もともと王表は臨海郡(りんかいぐん)の羅陽県(らようけん)に住んでおり、人々からある種の「神」としてあがめられていた。

王表は民間を渡り歩き、話をしたり飲み食いをする様子は普通の人と何ら変わらなかったものの、その姿を見ることはできなかったという。ただ、紡績(ぼうせき)という名の婢女(はしため)だけが彼に仕えていた。

251年5月、孫権(そんけん)は中書郎(ちゅうしょろう)の李崇(りすう)を遣わし、王表に輔国将軍(ほこくしょうぐん)・羅陽王の印綬(いんじゅ。官印と組み紐〈ひも〉)を授けたうえ、都の建業(けんぎょう)へ迎えようとする。

これに応じて王表は李崇とともに都へ向かったが、その道中で郡守(ぐんしゅ。太守〈たいしゅ〉)・県令(けんれい)・県長(けんちょう)らと談論した際、誰にも言い負かされなかった。

加えて王表は、山や川を通るたびに婢女の紡績を遣わし、(山や川の)神々に挨拶させた。

同年7月、こうして王表が都に到着すると、孫権は彼のために蒼龍門(そうりょうもん。建業の東門)の外に屋敷を建ててやり、たびたび近臣に酒食を持たせて訪問させた。

王表は、水害や干害の発生といった小さな事柄について予言し、それがよく的中したという。

同年11月、孫権は病に倒れ、翌252年4月に崩御(ほうぎょ)した。

それに先立つ252年2月、諸将と官吏が王表のもとを訪れ、孫権のために福を乞うたところ、王表は逃げ去ってしまった。その後の王表に関する記事はない。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)によるもの。

王表のような人物まで採り上げているのが、『三国志』のおもしろさのひとつではないでしょうか?

正体がバレそうになると、危険な雰囲気をいち早く察知して行方をくらますあたり、思いっきり人間っぽい「神」でしたね……。

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