【姓名】 周不疑(しゅうふぎ) 【あざな】 元直(げんちょく)
【原籍】 零陵郡(れいりょうぐん)
【生没】 ?~?年(17歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
好悪の感情は愛息とともに
父母ともに不詳。劉先(りゅうせん)は従兄。
周不疑は幼いころから並外れた才能を示し、非常に聡明(そうめい)で優れた理解力を備えていた。曹操(そうそう)は娘の婿として迎えたいと思ったものの、周不疑のほうが遠慮する。
曹操の息子の曹沖(そうちゅう)も幼いころから大変な才知を見せており、周不疑ならよい相手になると思われた。
208年、その曹沖が13歳で急死してしまうと、曹操は内心で周不疑を疎ましく思うようになり、いっそ殺してしまおうと考える。
息子の曹丕(そうひ)が諫めたところ、曹操は言った。
「こやつは、とてもお前が使いこなせるような者ではない」
こうして刺客が差し向けられ、周不疑は暗殺された。このときまだ17歳だったという。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・劉表伝〈りゅうひょうでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『零陵先賢伝(れいりょうせんけんでん)』などによるもの。
また『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・劉巴伝〈りゅうはでん〉)の裴松之注に引く『零陵先賢伝』には、劉先が周不疑を劉巴の下で学ばせようとした際の話があり――。
劉巴は、鸞(らん)や鳳(ほう。いずれも神鳥)のような周不疑に、どうやって私が教えられましょうかと辞退しています。
周不疑の夭折(ようせつ)は惜しまれますが、曹沖が長生きしていたとしても、彼の生涯は平穏なものにはならなかったでしょうね。
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