仇氏(きゅうし) ※曹丕(そうひ)の妻、仇昭儀(きゅうしょうぎ)

【姓名】 仇氏(きゅうし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹丕(そうひ)の側室、仇昭儀(きゅうしょうぎ)

父母ともに不詳。曹丕との間に曹霖(そうりん)を儲けた。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・東海定王霖伝〈とうかいていおうりんでん〉)によると、曹霖は222年に河東王(かとうおう)に封ぜられ、225年には館陶県王(かんとうけんおう)に移封されました。

226年に曹叡(そうえい)が即位すると、先帝(曹丕)の遺志により、ほかの諸王に比べて特に優遇されたといいます。しかし曹霖は粗暴な性格だったため、彼の後宮では殺されたり痛めつけられたりした者が多数いたとも――。

その後、曹霖は232年に東海王(とうかいおう)に移封され、249年に薨去(こうきょ)して息子の曹啓(そうけい)が跡を継ぎました。なお、曹芳(そうほう)の次に魏の帝位に即いた曹髦(そうぼう)は曹霖の息子です。

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