【姓名】 徐氏(じょし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
魏(ぎ)の曹丕(そうひ)の側室、徐姫(じょき)
父母ともに不詳。曹丕との間に曹礼(そうれい)を儲けた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・元城哀王礼伝〈げんじょうあいおうれいでん〉)によると、曹礼は221年に秦公(しんこう)に封ぜられ、京兆郡(けいちょうぐん)を領国としました。
その後、222年に京兆王に改められ、225年に元城王に移封され、229年に薨去(こうきょ)したということです。
231年になり、任城王(じんじょうおう)の曹楷(そうかい)の息子である曹悌(そうてい)が、曹礼の跡を継いでいます。
また『三国志』(魏書・明帝紀〈めいていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』には、「初め曹丕は曹叡(そうえい)を好まず、徐姫の生んだ曹礼を跡継ぎにしたいとの思いを持っていた。そのため曹叡は、なかなか皇太子に立てられなかったのだ」ともありました。
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