唐固(とうこ) ※あざなは子正(しせい)

【姓名】 唐固(とうこ) 【あざな】 子正(しせい)

【原籍】 丹楊郡(たんようぐん)

【生没】 ?~225年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『呉書(ごしょ)・闞沢伝(かんたくでん)』に付された「唐固伝」あり。

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闞沢の先輩にあたる学者

父母ともに不詳。

唐固は、わが身を修めて学問を積み、優れた儒者としてたたえられた。

『国語(こくご)』『公羊伝(くようでん)』『穀梁伝(こくりょうでん)』についての注釈書を著し、彼の教えを受けようとする学生が、常に数十人もいたという。

221年、孫権(そんけん)が魏(ぎ)の曹丕(そうひ)から呉王に封ぜられると、唐固は議郎(ぎろう)となり、陸遜(りくそん)・張温(ちょうおん)・駱統(らくとう)らから丁重な扱いを受ける。

225年、唐固は尚書僕射(しょうしょぼくや)となったものの、ほどなく死去した。このとき70余歳だったという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もほとんどなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

唐固は闞沢の先輩という形で採り上げられていましたが、ふたりの関わりをうかがわせるエピソードなどは特に見当たらないようです。

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