何宗(かそう)

【姓名】 何宗(かそう) 【あざな】 彦英(げんえい)

【原籍】 蜀郡(しょくぐん)郫県(ひけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第080回で初登場。
【正史】 登場人物。

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帝位に即くよう劉備(りゅうび)に勧めたひとり

父母ともに不詳。何双(かそう)という息子がいた。

何宗は任安(じんあん)の下で学び、未来を予知する術を究める。杜瓊(とけい)と同門だったが、何宗のほうが名声が高かったという。やがて劉璋(りゅうしょう)の時代(194~214年)、何宗は犍為太守(けんいのたいしゅ)となる。

214年、劉備が成都(せいと)で劉璋を降し益州牧(えきしゅうのぼく)を兼ねると、何宗は従事祭酒(じゅうじさいしゅ)に任ぜられた。

220年、魏(ぎ)の曹丕(そうひ)が帝位に即くと何宗は図讖(としん。未来の吉凶を記した予言的な書物)を引用し、劉備も帝位に即くよう勧める。

翌221年、劉備が帝位に即いたあと何宗は大鴻臚(だいこうろ)に昇進し、劉禅(りゅうぜん)の建興(けんこう)年間(223~237年)に死去した。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるものです。

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人物データ 蜀の重臣
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