杜微(とび) ※あざなは国輔(こくほ)

【姓名】 杜微(とび) 【あざな】 国輔(こくほ)

【原籍】 梓潼郡(しとうぐん)涪県(ふうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 第278話で初登場。
【演義】 第091回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・杜微伝』あり。

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諸葛亮(しょかつりょう)の再三にわたる招きを受け、常務のない諫議大夫(かんぎたいふ)を拝命

父母ともに不詳。

杜微は若いころ任安(じんあん)の下で学び、劉璋(りゅうしょう)に召されて従事(じゅうじ)となるも、病気のために官を去った。

214年、劉備(りゅうび)が成都(せいと)で劉璋を降すと、杜微は聾(ろう。耳が聞こえなくなること)と称したうえ、自宅の門を閉じて外出しなくなる。

224年、丞相(じょうしょう)の諸葛亮が益州牧(えきしゅうぼく)を兼ねた際、杜微を主簿(しゅぼ)に抜てきした。杜微は固辞したものの、諸葛亮は特に車を差し向けて招く。

こうして諸葛亮が自ら応対したところ、杜微は言葉を聞き取れないというので、自分の思いを文書にして伝える。

それでも杜微は、主簿への就任要請を重ねて断った末、希望が容れられて(常務のない)諫議大夫に任ぜられた。なお、その後の杜微については記事がない。

管理人「かぶらがわ」より

杜微が高い徳を備えた学者であることはうかがえますが、本伝の記事からはそれ以上のことはわかりませんでした。

蜀は魏(ぎ)に比べると人材不足が深刻だったので、諸葛亮は年齢や実務能力を問わず、徳望のある者は余さず登用しようとしたのでしょう。

あと『三国志』(蜀書・楊戯伝〈ようぎでん〉)に引く『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』では、杜微のあざなを本伝の国輔と逆の輔国としていました。どちらが正しいのかはっきりせず、一応は本伝にある国輔を採っておきました。

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