【姓名】 孫氏(そんし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫賁(そんほん)の娘
父は孫賁だが、母は不詳。孫鄰(そんりん)・孫安(そんあん)・孫熙(そんき)・孫績(そんせき)は兄弟。
孫氏は、建安(けんあん)年間(196~220年)の初めに曹操(そうそう)の息子の曹彰(そうしょう)に嫁いだ。しかし、その後の動静については記事がない。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績に関する記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
孫氏が曹彰に嫁いだことは『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫策伝〈そんさくでん〉)に見えますが、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)には見えないようです。
「孫策伝」によると「袁紹(えんしょう)の勢いが最も盛んだった時期は、孫策が廬江(ろこう)を攻略し、江東(こうとう)を統合した時期と重なっており、曹操は存分に実力を発揮できなかった」のだと。
「そこで曹操は、ひとまず孫策を懐柔しようと計り、弟の娘を孫策の末弟の孫匡(そんきょう)に嫁がせたうえ、息子の曹章(曹彰)のために孫賁の娘を娶(めと)った」ということでした。
「このとき曹操は、孫策の弟の孫権(そんけん)と孫翊(そんよく)を手厚い礼をもって招いて官職に就け、さらに揚州刺史(ようしゅうしし)の厳象(げんしょう)に命じて、孫権を茂才(もさい)に推挙させた」ともありました。
なお吉川『三国志』(第112話)では、曹操が孫策を懐柔しようとして、一族の曹仁(そうじん)の娘を孫策の弟の孫匡へ嫁入りさせた話が出てきますが、息子の曹彰のために孫賁の娘を娶った話は出てきません。
また『三国志演義』(第29回)でも、曹仁の娘を、孫策の幼い弟の孫匡と婚約させた話は出てきますが、やはり息子の曹彰のために孫賁の娘を娶った話は出てきません。
理由を考えてみたところ、そもそもこの両者には孫賁が登場していないことに気づきました。そのためにこういう形にせざるを得なかったのではないかと思います。
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