【姓名】 閻温(えんおん) 【あざな】 伯倹(はくけん)
【原籍】 天水郡(てんすいぐん)西城県(せいじょうけん)
【生没】 ?~213年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・閻温伝』あり。
決して不義の言葉は吐かず
父母ともに不詳。
閻温は涼州別駕(りょうしゅうべつが)として上邽県令(じょうけいけんれい)を代行した。
213年、馬超(ばちょう)が羌族(きょうぞく)をひきいて上邽に来ると、郡民の任養(じんよう)らはこぞって出迎える。
閻温はこの動きを止められず、馬を駆って州(州治の冀県〈きけん〉)へ帰った。
ほどなく馬超が冀城を包囲すると、閻温が密かに城を脱し、東の長安(ちょうあん)に駐屯する夏侯淵(かこうえん)のところまで危急を告げに行くことになった。
馬超側の包囲は城を数巡していたが、閻温は夜間に水中をくぐり抜ける。
翌日、馬超の配下が脱走者の痕跡を見つけて追いかけ、閻温は顕親(けんしん)の県境で捕らえられた。
馬超は閻温の縛めを解き、城内の者に東方からの救援は来ないと言わなければ、いまここで処刑すると強迫した。
閻温は承知したふりをし、車に乗って城下へ赴くと大声で叫ぶ。
「3日のうちには大軍が到着する。頑張ってくれ!」
城内では、みな泣きながら万歳を唱えた。
馬超は腹を立て、「お前は自分の命のことを考えないのか」と責めたが、閻温は返事をしない。
なかなか城が陥ちないため、さらに馬超が尋ねる。
「城内の知り合いで、私に同調する者はいないか?」
だが、またも閻温は返事をしなかった。さらに厳しく責め立てられると、こう言った。
「ひとたび主君にお仕えしたときは、死んでも裏切らないものだ」
「それなのに卿(あなた)は、長者(ちょうしゃ。徳のある人)に不義の言葉を吐かせようとしている。私はいい加減な気持ちで生をむさぼる者ではないぞ」
これを聞くと、ついに馬超は閻温を殺害した。
管理人「かぶらがわ」より
閻温の殺害後、いったん馬超は冀城に入りましたが――。
結局は曹操(そうそう)配下の楊阜(ようふ)・姜叙(きょうじょ)・趙衢(ちょうく)・趙昂(ちょうこう)・尹奉(いんほう)らの働きの前に敗れ、漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)のもとへと逃げることになります。
閻温の義挙は無駄ではなかったと言えるのでしょうが、彼の子孫の扱いにまで触れられていなかったのは残念でした。
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます