【姓名】 孫泰(そんたい) 【あざな】 ?
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~234年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫匡(そんきょう)の息子
父は孫匡、母は曹氏(そうし)。息子の孫秀(そんしゅう)は跡継ぎ。
孫泰は長水校尉(ちょうすいこうい)となった。
234年、孫権(そんけん)に付き従って魏(ぎ)の合肥新城(ごうひしんじょう)を包囲した際、流れ矢に当たり戦死した。
息子の孫秀が跡を継いだものの、270年に孫晧(そんこう)から圧力をかけられたことがきっかけで晋(しん)へ亡命した。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫匡伝)には「孫泰が曹氏の甥にあたる」とあります。これは孫泰の母が曹操(そうそう)の弟の娘であるためです。
この件について吉川『三国志』(第112話)および『三国志演義』(第29回)では、曹仁(そうじん)の娘が孫匡に嫁いだことになっています。しかし『三国志』(呉書・孫策伝〈そんさくでん〉)では、「曹操が弟の娘を孫策の末弟の孫匡に縁付けた」とありました。
最初は原文の「乃以弟女配策小弟匡」に「従(従弟)」が抜けている可能性もあるのではないかと考えたりもしたのですけど、その確率はゼロに近そうなので一般的な解釈(孫匡に嫁いだのは曹操の弟の娘であり、曹仁の娘ではない)に改めました。
なお、孫泰が合肥新城で射殺されたという記事は、『三国志』(魏書・満寵伝〈まんちょうでん〉)にも出てきます。


吉川『三国志』の考察 第112話「于吉仙人(うきつせんにん)」
廬江(ろこう)を攻略した江東(こうとう)の小覇王こと孫策(そんさく)は、まさに日の出の勢いだったが、先に処刑した呉郡太守(ごぐんたいしゅ)の許貢(きょこう)の食客に命を狙われ、丹徒(たんと)で狩猟中に重傷を負う。名医の華陀(かだ。華...
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