【姓名】 孫冀(そんき) 【あざな】 ?
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 第120回で初登場。
【正史】 登場せず。
創作された人物、呉(ご)の孫晧(そんこう)配下の左将軍(さしょうぐん)
父母ともに不詳。
『三国志演義』(第120回)には以下のようにある。
「孫晧から晋(しん)の襄陽(じょうよう)攻めを命ぜられた鎮東将軍(ちんとうしょうぐん)の陸抗(りくこう)が、晋の都督(ととく)の羊祜(ようこ)と対峙(たいじ)した」
「対峙を続けるうち、陸抗と羊祜は敵ながら互いの力量を認め合うようになっていたが、そこへ孫晧から進軍を促す詔(みことのり)が届く」
「陸抗は孫晧へ上奏文を届けさせ、今は晋軍を討伐するべきではないと、言葉を尽くして説いた」
「しかし孫晧は上奏文を読むと激怒。陸抗が晋と通じていると決めつけ、彼の指揮権を剝奪したうえ司馬(しば)に降格させた。陸抗に代わって左将軍の孫冀が軍勢の指揮を命ぜられた」
管理人「かぶらがわ」より
孫冀は正史『三国志』には見えない人物です。一応「呉の孫氏」に入れておきましたが、親子関係などもわかりませんでした。
なお、上で挙げた『三国志演義』の設定のうち、陸抗が孫晧の怒りを買って指揮権を剝奪された件は、正史『三国志』に見えません。一方で、陸抗と羊祜が国境を挟んで対峙していたのは事実です(陸抗は274年に病死)。
なぜここで孫冀だったのかが、どうもよくわからない……。作者の意図を読み解くヒントのようなものを見落としているのかもしれませんね。
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます