邢氏(けいし) ※もと曹芳(そうほう)の妻、邢貴人(けいきじん)、後に孫壱(そんいつ)の妻

【姓名】 邢氏(けいし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~259年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹芳(そうほう)のもと側室、後に呉(ご)から降った孫壱(そんいつ)の妻にされる

父母ともに不詳。

『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫静伝〈そんせいでん〉)に付された「孫奐伝(そんかんでん)」によると、「257年に呉の孫壱が魏へ亡命し、魏の曹髦(そうぼう)は車騎将軍(しゃきしょうぐん)・儀同三司(ぎどうさんし)に任じたうえ、呉侯(ごこう)に封じ、曹芳の貴人(きじん。皇妃の位のひとつ)だった邢氏を妻として与えた」という。

「邢氏は容貌が美しかったものの嫉妬深かった。彼女に仕えていた者たちは酷使に耐えられず、(259年に)共謀して孫壱と邢氏を殺害した」ともある。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

上で挙げた「孫奐伝」では、魏における孫壱の官職が一部省略されているようで……。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・高貴郷公紀〈こうききょうこうぎ〉)には「侍中(じちゅう)・車騎将軍・仮節(かせつ)・交州牧(こうしゅうぼく)に任ぜられたうえ、呉侯に封ぜられ、開府を認められ、官からの呼び出しの儀礼は三公と同じ扱い(儀同三司)を受けた」とありました。

これに加え、「古代の侯伯(こうはく)を封ずる際の『八命の礼』に基づき、天子(てんし)の着物と冠に赤い靴を添えて下賜された」ともあり、その厚遇ぶりを裴松之(はいしょうし)が批判しています。

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