【姓名】 曹騰(そうとう) 【あざな】 季興(きこう)
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第243話で初登場。
【演義】 第001回で初登場。
【正史】 登場人物。
魏(ぎ)の曹操(そうそう)の祖父、後漢(ごかん)時代の大宦官(だいかんがん)、高皇帝(こうこうてい)
父は曹節(そうせつ)だが、母は不詳。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く司馬彪(しばひゅう)の『続漢書(しょくかんじょ)』には、以下のようにある。
「父の曹節はあざなを元偉(げんい)といい、平素から温情深い人物として評判が高かった。曹節の長男は伯興(はくこう)、次が仲興(ちゅうこう)、次が叔興(しゅくこう)といい、曹騰は(末子で)あざなを季興といった」
以下の主な経歴も、裴松之注に引かれた『続漢書』によるもの。
主な経歴
-?年-
年少のころ、黄門(こうもん)の従官に任ぜられる。
-120年-
皇太子(後の順帝〈じゅんてい〉)の学友のひとりに選ばれる。
-125年-
順帝が即位し、小黄門(しょうこうもん)に任ぜられる。
後に中常侍(ちゅうじょうじ)・大長秋(だいちょうしゅう)まで昇進。宮中に30余年、4人の皇帝(安帝〈あんてい〉・順帝・沖帝〈ちゅうてい〉・質帝〈しつてい〉)に仕えて一度も落ち度がなかった。
-146年-
桓帝(かんてい)が即位し、費亭侯(ひていこう)に封ぜられたうえ、特進(とくしん)の位を与えられる。
-229年-
魏を建国した曹丕(そうひ)から高皇帝と追尊される。
管理人「かぶらがわ」より
曹騰が養子に迎えたのが曹嵩(そうすう)、曹嵩の息子が曹操になります。
上で引かれている『続漢書』によれば、曹騰は優れた人物を引き立てることが好きで、決して悪口を言ったり、損害を与えたりすることがなかったそうです。
彼が推挙した人物のうち、陳留(ちんりゅう)の虞放(ぐほう)や辺韶(へんしょう)、南陽(なんよう)の延固(えんこ)や張温(ちょうおん)、弘農(こうのう)の張奐(ちょうかん)、潁川(えいせん)の堂谿典(どうけいてん)らはみな高官に出世したものの、曹騰は恩着せがましい態度を取らなかったとも言います。
また、蜀郡太守(しょくぐんたいしゅ)が計吏(けいり)を遣って曹騰に表敬したとき、益州刺史(えきしゅうしし)の种暠(ちゅうこう)が蜀郡太守を告発したうえ、「内臣なのに外部と通交している」として、曹騰の裁判を求めたことがありました。
この要請は却下されたものの、曹騰はそのことを意に介さず、かえって种暠を称賛し、「お上に仕える際の節義を心得ている」と述べました。
そして、後に司徒(しと)となった种暠は「公(三公)になれたのは曹常侍(そうじょうじ。曹騰)のおかげだ」と語ったということです。
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