殷観(いんかん) ※あざなは孔休(こうきゅう)

【姓名】 殷観(いんかん) 【あざな】 孔休(こうきゅう)

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫権(そんけん)に蜀(しょく)取りを思いとどまらせた、劉備(りゅうび)への進言

父母ともに不詳。

209年、劉琦(りゅうき)の死去を受けて劉備が荊州牧(けいしゅうぼく)となると、孫権の妹を娶(めと)って友好関係を固めた。その後、孫権の使者が着き、協力して蜀を取りたいと申し入れてくる。

このとき劉備配下のひとりが言った。

「孫権が荊州を越えて蜀の地を保つのは不可能ですから、この申し入れを受けても構わないでしょう」

すると荊州主簿(けいしゅうしゅぼ)の殷観が言った。

「我々が孫権の先駆けとなり、進んでは蜀に勝てず、退いては彼に付け込まれることになれば、たちまち好機は去ってしまいます」

「ここは申し入れを受ける一方、こちらは諸郡に拠ったばかりなので、すぐには動けないとお伝えなさいませ」

「孫権はわが荊州を越えて、単独で蜀を取ることはできません。このようになされば、我らは孫権と蜀の両方から利を得られます」

劉備が殷観の進言を容れたところ、やはり孫権は計画を取りやめた。このときの功により、殷観は別駕従事(べつがじゅうじ)に昇進したという。

その後の殷観については記事がない。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がほとんどなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・先主伝〈せんしゅでん〉)によるものですが、殷観の名は楊戯(ようぎ)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』にも見えています。

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