【姓名】 曹氏(そうし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 譙郡(しょうぐん)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
魏(ぎ)の曹叡(そうえい)の娘、斉長公主(せいちょうこうしゅ)
父は曹叡だが、母は不詳。
曹氏は、李豊(りほう)の息子の李韜(りとう)に嫁いだ。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・夏侯尚伝〈かこうしょうでん〉)に付された「夏侯玄伝(かこうげんでん)」には、以下のようにあります。
「254年、中書令(ちゅうしょれい)の李豊が光禄大夫(こうろくたいふ)の張緝(ちょうしゅう。曹芳〈そうほう〉の皇后である張氏の父)らとともに、大将軍(だいしょうぐん)の司馬師(しばし)の排除を企てたものの失敗した」
この計画に関わった李豊らは三族(父母・妻子・兄弟姉妹、異説もある)皆殺しとなり、死刑を免れた親族も楽浪郡(らくろうぐん)への流刑とされました。
「夏侯玄伝」の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王沈(おうしん)の『魏書』には、「李豊の息子の李韜については、公主の夫であったため獄中で自殺することが許された」ともあります。
また「曹芳の詔(みことのり)により、斉長公主が先帝(曹叡)の忘れ形見であることを考慮し、彼女の3人の子どもたちの死刑を免除した」ともありました。
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