衛継(えいけい) ※あざなは子業(しぎょう)

【姓名】 衛継(えいけい) 【あざな】 子業(しぎょう)

【原籍】 漢嘉郡(かんかぐん)厳道県(げんどうけん)

【生没】 ?~264年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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養子先から実家に戻った衛氏の白眉

父母ともに不詳。

衛継は5人兄弟で、父が県の功曹(こうそう)を務めていた。

衛継が子どものころ、兄弟と一緒に父についていき、役所の庭で遊んだことがあった。県長(けんちょう)の張君(ちょうくん)には子がなかったため、たびたび衛継の父に命じて息子たちを連れてこさせ、自ら遊び相手になってかわいがる。

そのうち張君は、衛継を養子にもらいたいと申し出て父の承諾を得た。

衛継は早熟で頭の回転が速く、広い学識を備えており、州郡に仕えて要職を歴任するようになる。一方で彼の兄弟に世間で通用する才能を持つ者はおらず、いつも父を嘆かせていた。

ところが、このころ異姓の養子を禁ずる法律ができたことから、衛継は衛姓に戻ることになった。

衛継は昇進を重ねて奉車都尉(ほうしゃとい)・大尚書(だいしょうしょ)となり、篤実かつ信義の厚さで人々の尊敬を集めたという。

264年、魏(ぎ)の鍾会(しょうかい)が成都(せいと)で反乱を起こした際、衛継は巻き添えになって殺害された。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『益部耆旧雑記(えきぶききゅうざっき)』によるものです。

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もほとんどなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

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